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【読書ログ】天才・小室直樹に触れる『戦争と国際法を知らない日本人へ』

ロシアによるウクライナ侵攻が続いている今日。

未だ平和的な解決手段が見つからず、互いに消耗しつつも長期化していきそうな様相を見せている。

ロシアのような大国が近代国家らしからぬ行為を選択したという事実は世界中を震撼させ、日本国内においても、決して対岸の火事ではなく、今一度自国の安全保障について考え直そうという気運が高まっているように感じる。

日本は東洋における複雑な国際情勢の渦中にいるのはいうまでもなく、直近でも中国人民解放軍が発射した弾道ミサイルが日本のEEZに落下したことが大きな問題となっている。

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大きな問題となっているものの、日本人にとって戦争は80年近く無縁のものであり、戦争を知らない団塊世代(あるいはその下世代)のJr.である私にはこういった問題が起きたときに政府が見せる対応の妥当性を正当に評価できない(そのための知識がない)のが悩みの種だった。

そんな国際オンチの私が大好きなジュンク堂書店の国際情勢コーナーで見つけたのが今回紹介するこちらの本。

 

 

【作品情報】

書名:戦争と国際法を知らない日本人へ

著者:小室直樹

ページ数:245

キャッチコピー:日本人の外交・戦争オンチは国際法の無知に理由がある。

 

 

この本に書かれていることを一言でまとめると以下のようになる。

国連は大国(列強)による軍事同盟であり寡頭政治の場である。

国際社会の始まりはヨーロッパであり、その基礎はキリスト教であると小室はいう。どういうことか。

 

近代の基礎を作ったキリスト教

カトリックだろうがプロテスタントだろうが正教会だろが、キリスト教では「カルケドン信条」が根本教義とされている。

カルケドン信条とはイエスは人間であり神であるとする「三位一体説」を定説としており、封建時代のヨーロッパはこのカルケドン信条で一体化した。血みどろの宗教戦争に終止符を打ち、キリスト教による共同体が形成された訳である。

元々キリスト教イスラム教と違って法や規範が規定されていないため、人々の行動を細かく縛るものがない。その上イエス=神=人間としてカルケドン信条によってヨーロッパはいったん統一されているものだから、キリスト共同体は自分達に適したルールを作り、展開できたらしい。

前提のなるのは、宗教改革によって取り戻された「人間行動の内外の峻別(区別)」をベースとした、心の中の良心の自由こそが最も重要とするデモクラシー。

そうしてデモクラシーは近代法、近代政治、資本主義が誕生し、近代国際社会へと発展していく。

一方イスラム教はと言うと。

イスラム教における最大かつ最後の預言者マホメットマホメットの後に預言者なし。

マホメットと神が結んだ契約が最終的なものであり、新預言者が突如として出てきて契約を結び直すことなどあり得ない。

つまり、イスラム世界はものすごく保守的で柔軟性がない。資本主義やデモクラシーがいかに要請しても神との契約にないことは原則実現不可能。

 

絶対主義の確立から国際法が生まれる

封建時代のヨーロッパには国家という概念はなかった。王と家臣は契約によって結ばれていたのだが、土地と農奴を所有する家臣が複数の王と契約することができた。(この辺日本の鎌倉時代に生まれた御恩と奉公にはない考え方のように感じる。)

ところが、大都市が栄え始めると山賊や海賊が比例して増える。

商人は安全を確保するために王に懇願する。王は見返りとして商人から金を得る。得た金で王は常備軍を整備した。しっかり訓練された常備軍は強く、常備軍を持つ国は経済的にも栄え、その国の王の権力は肥大化した。そしてそれが近代国家の基礎となり、国家主権が確立し、そのようにして成立した近代国家同士が、お互いの主権を前提とした対等な関係を結んだ。(=近代国際法の事実上の誕生

現代において、このような経緯を辿らずに独立し主権国家を名乗る国によって国際秩序が歪めれらていることが問題だと小室直樹は説いている。

 

列強の誕生と社会秩序の維持

ナポレオン戦争に勝利した国々が列強と呼ばれるようになり、列強による談合という形で国際政治が執り行われるようになった。ヨーロッパ列強の意思によって世界は動くようになった。外交官のギルドのようなものがあって、ギルドに属する外交官同士の個人的繋がりによる阿吽の呼吸によって絶妙に秩序が保たれていた。

明文化されていない慣行的なルールが存在し、そのルールを肌感で感じ取ることが外交官の勤めだった。

そこに列強面したアメリカと日本が突如入り込んできたため曖昧になってしまったが、国際法は本質的には列強の慣習法がベースになっていることを忘れてはならない。

そして国際連合にしても、列強政治であることは何ら変わっておらず、むしろ常任理事国による剥き出しの列強政治であると。

 

まとめ

この本で結論付けられているのは、列強以外の小国がいくら声を上げようとも、結局のところ列強同士が積み上げてきた慣習、慣行に基づいた問題解決手段が優先され、当事国家の意地や名誉などは二の次であるということ。

第二次対戦後、独立国家や主権国家が激増したが、列強が遂げてきたような主権獲得のプロセスを経なかった国家はかつての日本やアメリカのように世界秩序を見出す要因になりかねず、そのためにも国際連合は今もなお列強による寡頭政治となっている。

その認識を持った上で、ロシアウクライナ情勢や日韓、日中問題を再度考えてみると今までと違った考察が得られるかもしれない。